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日本各地の湧水



名水とは 弘法水 湖沼 大分の名水 思い出の写真館



名水


名水とは

 名水とは,水質,水量,周辺環境,親水性の観点からみて,状態が良好である, 地域住民等による保全活動がある, その他 故事来歴,希少性,特異性,著名度等を勘案して,1985年当時の環境庁が日本名水百選を選定したものです. この中には河川や湖沼,はては堰までが選ばれています.名水とは飲料水,おいしい水とは限らないのです!!! 
 私は,生活用水として大切に利用されてきた水であることが第一の条件と考えています.したがって,名水とは,「現在は無理としても以前は飲用できた水でなければならない」というこだわりがあります.また,そのような名水には何かしらの伝説,伝承があり,科学的な根拠がみられるものも少なくありません.その代表的な名水が『弘法水』であるといえるでしょう.このような観点から,これまで多くの名水について,自然科学的,地理学的,民俗学的な調査・研究をしてきました.このページではその幾つかを紹介いたします.
 名水の啓蒙書は
 日本地下水学会編(1994):『名水を科学する』技報堂出版(分担執筆),299p.
 日本地下水学会編(1999):『続名水を科学する』技報堂出版(分担執筆),246p.

をご覧下さい.

★磨崖仏と湧水の研究
河野忠(2005):大分県の磨崖仏と湧水の存在について.地域研究,Vol.46,No.,2.より
 大分県には約80ヶ所,総数にして400体ほどの磨崖仏が存在しており,日本全国の8割近くの磨崖仏が集まっているといわれている.これまでの湧水調査の中で磨崖仏に行くと必ずといってよいほど湧水が見られたので,便利な指標として利用していた.従来,磨崖仏の造立は密教との関係を指摘され,深い信仰心から製作されたといわれていたが,水の存在から磨崖仏をみた研究は知られていない.石像文化財保護の観点からみると,磨崖仏に湧水が存在する事は風化が早まる可能性があり好ましい事ではない.にもかかわらず,大分県の磨崖仏に湧水が存在する事は,そこに何か理由があるのではないかと考え,磨崖仏と湧水の悉皆調査を開始した.これまでに50ヶ所の磨崖仏を訪れ,湧水の存在を確認した結果,確実に湧水が存在するものが32ヶ所,湧水跡のみられたものが15ヶ所,存在しないもの3ヶ所となった.未調査の磨崖仏が30ヶ所ほどあるものの,9割以上の磨崖仏に湧水が確認された.しかも湧水のない3ヶ所の磨崖仏は,移動可能な石仏と横穴式墳墓に彫った磨崖仏であった.従って,調査した磨崖仏には必ず湧水が存在するといってよい.
磨崖仏における湧水の存在理由は自然科学的には次のように説明できる.大分県には9万年前に噴火した阿蘇の溶結凝灰岩が大野川流域を中心に堆積し,各地に垂直の懸崖を形成しており,磨崖仏の格好の造立地を提供している.溶結凝灰岩はよい帯水層ともなっているので,多くの湧水が見られる事も確かである.
磨崖仏に湧水が存在するその他の理由としては,制作者の硯水(作業の合間にとる水)と磨崖仏への閼伽水等が考えられる.製作現場での実質的な問題として,飲み水がなければ長期間にわたる磨崖仏製作は不可能といってよいだろう.また,閼伽水は神仏に毎日欠かさず供えるもので,近くに水場がなければならない.閼伽は密教と密接な関係を持つ言葉であり,磨崖仏に塗られている赤い塗料である水銀から作る朱(しゅ,アカ)にも通じている.しかも大分県には水銀産地である事を示す丹生地名がいくつも知られている.このことから,大分県の磨崖仏は密教の影響を強く受け,水の存在に対する感謝の念と実用的な問題から,湧水の存在する場所に造立したと考えるべきであろうと結論できる.また,大分県外でも磨崖仏に湧水が存在する例は多く,海外(中国のキジルや莫高窟など)でもその例が見られる事は特筆すべきであろう.

弘法水の水文科学的研究

大分の名水

★大分県の伝説の水研究
河野忠(2003):「大分の伝説の水を科学する」.辻野 功編:『大分学・大分楽』明石書店(所収),99-113. より

★越前大野市の名水
高村弘毅・河野 忠(1994):名水を訪ねて−大野盆地の湧水群− 御清水.日本地下水学会誌,Vol.23,No.3,255〜261.より

★北埼玉地域の名水
河野 忠(1994):北埼玉地域における名水とその水質.地域研究センター年報,No.18,28〜39.より

★国東半島と鹿鳴越山群の名水
河野 忠・田川豊治・藤原秀二(1996):国東半島と鹿鳴越山群の名水.日本地下水学会誌,Vol.38,No.2,137〜143.より

★韓国済州島の名水
島野安雄・河野 忠・高村弘毅(1996):韓国済州島の名水.日本地下水学会誌,Vol.38,No.3,211〜221.より

★長崎県の名水
高村弘毅・河野 忠(1998):長崎県の名水.日本地下水学会誌,Vol.41,No.1,35〜44.より

★大分県臼杵市の名水
河野 忠・長田美智子(1999):大分県臼杵市の名水 〜その現状と水文学的特徴〜. 日本文理大学環境科学研究所報告,No.2,20〜29.より

★高知県の名水
河野 忠(2002):高知県の名水.地下水学会誌,Vol.45,No.4,325-335.より

★福岡県の名水
河野 忠(2003):福岡県の名水.地下水学会誌,Vol.46,No.4.469-478.より.

★六角井戸の研究
河野忠(2001):名数からみた井戸枠の形式〜六角井戸の研究〜.地域研究,Vol.42,No.1,2,p.58.より
 一般的な井戸枠はその材質(木材,石)に基づく技術的制約から四角形,もしくは丸形にするのが一般的である.しかしこれまでの調査で,日本には六角形,八角形の井戸が40ヶ所程存在することがわかった.なぜ六角にするのかという疑問から,まず数字の意味を調べてみると,日本では八は縁起の良い意味で使われるが,六は神聖な数として認識される一方で,墓や地獄などといった事象に通じる数として認識されている.数の意味で六角井戸をとらえた場合,そこには「六」本来の意味とは別の,特別な意味があるに違いないと考えた.そこで,日本各地の六角井戸の分布や現地調査から,六角井戸が造られた人文,自然地理学的背景を明らかにすることが本研究の目的である.
 六角井戸は秋田から沖縄まで,全国各地に見られるが,その分布は京都・奈良,淡路島周辺,長崎に集中する傾向が見られた.またその半分近くが海岸付近に存在し,弘法伝説のある井戸が6ヶ所あった.中部地方以北の六角井戸は元々あった井戸にあとから六角の枠をつけた井戸が多く,正確には六角井戸とは言い難い井戸が多かった.京都奈良は歴史上の人物や史実に基づく井戸が多く,史蹟となっている場合が多かった.淡路島周辺の井戸は風土記などに登場する古井戸が多く,海岸付近に存在する.長崎の井戸はやはり海岸付近にあり,中国人が築造して南蛮貿易船などへ水を供給した歴史がある.沖縄はもともと丸形の井戸に井戸枠を造る際,その材料は石灰岩のブロックを使用した.石灰岩のブロックを組合せるには,小型の井戸は六角,大型は八角にすると効率よく井戸枠を築造できることがその理由である.石の文化圏に属する沖縄ならではの井戸といえよう.一方で神奈川県鎌倉市小坪海岸の六角井戸は,六角の二辺を逗子側,四辺を鎌倉側が使用する水利権を表すために築造された.これは朝夕に井戸使用が集中する際の合理的な対策として六角井戸が築造された典型的な理由と考えることができる.

真田井戸(長野県上田市)源智の井戸(長野県松本市)六角井戸(神奈川県鎌倉市)

七五三の名水研究
河野 忠(2002):七五三の名水とその成立過程.地域研究,Vol.43,No.1,p.46.より
 
数字の六が良い意味としては使用されないことにヒントを得て,六角井戸の研究を行ったが,逆に縁起の良い数字として使用される七五三に関係する水として七・五・三名水が日本各地に存在していることに着目し,その分布等を調べ,その成立過程を考察した.地域に密着した七五三の名水は,これまでにそれぞれ,34,15,58ヶ所ほど確認している.また日本三名水など全国に分布するものも5つあることがわかった.
 七五三以外の数字にまつわる名水も幾つか存在する.縁起の悪い四のつく名水に明石四名水,志築四井がある.同様に六名水も6ヶ所あるが,すべて茨城県にあることは面白い.一つの仮説として,これは平清盛が六好きなことから,茨城で活躍した平将門と関係があるのかもしれない.その他の数としては八名水が4ヶ所,九名水が2ヶ所,十名水が3ヶ所,十二名水が1ヶ所存在している.
 これら七五三名水の成立過程は,名水の成立がいつ頃かという問題に遡らなければならないが,これは古事記,日本書紀,風土記にみられる天の真名井(真奈井,真那井とも書く)や御井が,日本最初の名水と考えて良いであろう.つまり七世紀には既に名水が存在していたことになる.その後,仏教の伝来とともに仏閣などに閼伽井(仏様への御供水)が掘られ,行基水や弘法水などの名僧にまつわる水へと広がっていく.七五三の名水のように,ある程度まとまりをもって名水をあげた最初のものは,おそらく清少納言の「枕草子」であろう.第172段,井は〜に九つの名水を紹介している.日本では九は良い意味では使用しないが,清少納言はそこまで考えることなく,ただつらつらと美味しい水をあげていったものと想像する.また,この九つの名水が京都だけでなく,日本各地に存在している点も興味深い.「枕草子」以降,特に江戸時代には多くの「〜名所図会」が刊行されるが,その中に多数の七五三名水の記述がみられ,各地に定着していったものと考えられる.


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